History of Takasugi Toru
幼少期〜学生時代

小学校の事務職員をしていた母にだかれて。

当時の私は何を思い馳せていたのだろうか。

国会議員の秘書をしている父と
帰宅後の楽しいひととき。
子供の時はガキ大将
1953年茨城県常総市に生まれる。子供の頃は、ガキ大将で、遊びの名人でした。昭和のガキ大将ですね。その頃の夢は「野球選手になりたい」。長嶋選手に憧れたという典型的な子供の夢ですね。

忙しい父にかまってもらえる書斎の部屋で。

茨城の大洗海岸で海の男の仕事姿に惹かれていた頃。

愛犬チロと戯れるのが何よりも好きでした。

緊張しながらも鼓笛隊の指揮を
成し遂げた達成感は、今も忘れられない。

鹿など動物に人気があった時代(笑)

読書のサークル仲間たち。「アンネの日記」や「こころ」を読んでの語り合いは、とても楽しいひとときだった。
中学時代は陸上競技で活躍。県の大会で200m走で5位、走り幅跳びで6位と、スポーツは得意でした。高校では、人生について考えるようになり、読書会サークルで小説を読んで語り合うという、これも今思うと、典型的な文学青年でした。ヘルマンヘッセ、アンネの日記、ロマンロランなんかを真剣に語り合った。そのような文学の影響から、人生や生き方を考えるようになった。
時代的に平和運動があり「ベトナムに平和を!」と生徒会長に立候補しました。生徒会長になって、学内で広島長崎の原爆映画を上映したりしました。

大学でも平和運動の体験と共に、多くの思想書を読み、影響を受け、政治と文学、そして大衆の関係、今でいう市民運動、その本質を学んでいました。
国会議員秘書としての活動


調査活動をしているところ。

気分転換をしていた。

社会保険社労士、中小企業診断士として様々な問題に取り組む
40才〜社会保険社労士、中小企業診断士として活動。年金問題や介護保険、経済問題の講演を数多く行いました。地域での様々な活動も行いました。

講演をしているところ。

県内各地で経営セミナーの講演を実施。
草の根選挙〜常総市の市議会議員、市長を務める
帰省して直ぐの1990年に県議会の選挙に出て、1人区で自民党との一騎討ちでした。落選しました。深く反省をし、地域での活動をしっかりしてから、9年後に市議に挑戦し、2位で上位当選。2期目でトップ当選をしました。政治の現場としての地方自治体に、どんどん魅力を感じました。4期目の途中で、市政一新と市民協働を訴え市長に当選させていただきました。草の根選挙で、街頭演説に力を入れました。常総市長を1期務めます。

市議会議員を4期した後に、市長選挙に立候補、市政改革を訴える。草の根選挙で、街頭演説に力を入れた。

農業政策に力を入れ、子どもたちの
体験学習に参加し、汗を流す。


水害からの復興活動で災害現場を回る。


家族と過ごす時間を大切に
娘たちと〜忙しい中、時間を見つけては家族と一緒に出かける。
忙しい毎日の中でも家族と過ごす時間を大切にしてきました。家族の支えは大きなものです。

親子共々、美しく色とりどりの熱帯魚に魅せられて。

味わせたいと思い‥
現在〜社会保険社労士、中小企業診断士としての活動
社会保険社労士、中小企業診断士として、様々な相談や支援を行っています。コロナ関連の影響は大きく、多くの問い合わせの支援に奔走しています。


国政への挑戦〜立憲民主党茨城3区総支部長として
2018年の立憲民主党いばらきの設立に参加。茨城県3区の総支部長になりました。
常総市の大水害の経験は大きく、その後、全国各地で続く大災害に対し、根本的に被災者支援法を変えて、もっと手厚い支援体制が必要だと強く思うようになりました。原因としての地球温暖化問題に対して、先進国である日本は、大きな役割を果たさなければなりません。
また、安倍政権の憲法の改悪、公文書の改ざんや破棄など、民主主義にあるまじき政権運営、これらを、正していかなければなりません。




